支援活動と立正安国の精神

私は支援活動が苦手です。そんな私がなぜ支援活動をしているのかと言えば、立正安国の精神で、となりますが、その精神とは何かについては正直、自分のなかで漠としたものがありました。

 

先日、地区の皆さんとぶっちゃけトークをしました。テーマは「支援活動のなかで批判を受けた時、皆さんはどんなことを感じていますか?」というもの。このテーマにしたのは何を隠そう私自身が今回の戦いの中でそういった場面があり(だいぶ強めの批判でした…)、 皆さんからアドバイスをもらって心の傷を癒したい、励ましてもらいたいと思ったからです(汗)。

 

このぶっちゃけトークはこれまでのどの会合よりも盛り上がりました(笑)。

 

皆さんからは色んなエピソードが聞けました。そしてわかったことは皆さん自身も公明党が100%完璧な党だなんて思っていないということでした。私が調子に乗って、私なんか誰よりも痛烈に公明党を批判する自信がありますよ!と言うと皆さん笑っていました。(地区の責任者の私がこれでいいのだろうか…と思いつつも)改めて皆さんも色んな思いを抱えながら支援しているのだと知りました。

 

外からの批判だけでなく自分のなかにある批判とも向き合い続けている皆さんの心に、私は「信仰」を見る思いがしました。

 

公明党への不満は当然ある。ではどの政党に任せるか、任せるにたる政党はどこか。
具体的な政党と納得できる理由を明示してくれる人が、どこかにいるのか。

 

そのような政党がないから自分たちで決めて支援活動をしているのだと。
公明党をより理想的な政党に育てるために支援が必要なのだと。

 

そこには主体者として、自ら責任を担おうとの誇りがありました。
地域の幸福責任者としての崇高な「覚悟」がありました。

 

「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」
「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」

 

御書の通りの皆さんの実践だと思いました。

 

私のなかで漠としていた支援活動における立正安国の精神とはこの「覚悟」のことなのだと思いました。そして、問われているのは公明党云々ではなく私自身の信心なのだと。

 

先週から私の地域でも決起の集いが行われています。【決起】には「覚悟を決めて行動を起こすこと」という意味があるようです。

 

あと4日。私はまだまだ決起できます。
地区の皆さんに教えていただいた「覚悟」の信心で、最後まで力の限り支援活動に挑んでいきたいと思います。